モロッコ建築視察Ⅳ
9/18(月)6日目
アイト・ベン・ハ ドゥ2日目
▪️クサール・ アイト・ベン・ハ ドゥ
朝8:30にホテルを出て橋を渡り、クサール・ アイト・ベン・ハ ドゥ(1987年に世界遺産登録)の集落に入り約1時間半ほど散策しました。 個人的には、ここは今回の視察のハイライトの一つです。

入口の案内板によると、この集落が形成されたのは18世紀初頭に遡り、ウニラ渓谷という戦略的に重要な位置にあるクサ-ル(要塞化された村)は、 マラケシュとスーダンを結ぶ隊商交易の中継地として栄えた場所で、 キャラバン貿易において重要な役割を果たしていたとの事です。
そのなかで特に有力な部族だった「ハドゥー族」が築いたものがアイト・ベン・ハドゥ。

この唯一無二の風貌は、村全体が丘と一体となった空間芸術のようです。道は迷路上になっていて要所要所に大きな扉(門)があり、集落への入口は1ヶ所しかありません。集落全体が難攻不落のお城のようでもあります。


カフタン・べルベル絨毯・枕・キリムなどのテキスタイル、鞄、民族服なども並んでいます。

日干しレンガで出来た建物が路地空間を形成します。
建物は日干し煉瓦(お金持ちは石積みとの説明でした)を積みあげて、土壁で仕上げています。その為風化が激しく修復作業も行われています。見学させて頂いたカスバは多分RC造でした。また夏は40℃になる事も含めて、窓は少なく1階は窓がなく換気口のみである。窓面積も小さく、盗賊などへの銃眼(弓矢や銃を撃つ開口)と兼ねているようでした。





今回の地震の影響について、震源地から東へ約200kmのアイット・ベン・ハッドゥでも結構な揺れだったそうです。壁のクラックや壁面仕上げの剥落、軒の落下などの被害が見受けられました。


現在使われている建物はほとんどがお土産物屋さんで、住んでいるのは数家族だけとの事です、その中の一軒にお邪魔してリビングでお茶(ほろ苦い緑茶)を頂きました)







元住民のほとんどは、対岸の町に移り住んでいるそうです。 以前は対岸の村に渡るのに、川に置かれた飛び石を踏んでいたそうですが、数年前に立派な橋が架けられていました。
旅も終盤に入り、アイト・ベン・ハ ドゥ を出発し、 再び雄大な オート・アトラス 山脈を東から西へ、ティジ・ヌティシェッカで休憩をとり、一路 マラケシュへと向かいます。


9/18(月) 6日目
▬マラケシュ1日目
▪️マラケシュのメディナ
アイト・ベン・ハ ドゥから約5時間( 途中で昼食、1時間) かかって 、午後3:00 に目的地のマラケシュのアグノウ門に 到着。

マラケシュはモロッコ第4の都市。人口は約100万人、面積は約230平方キロメートルほどの大きさがあります。
街の中心にはあるメディア(旧市街)、フナ広場から北側には世界最大といわれるスーク(市場)が広がり、モスクや旧王宮(旧宮殿)なとモロッコを代表する歴史的建造物も並びます。
街は充分に活気を取り戻しており、 ジャマエル ・フナ広場やスーク(市場)などは、多くの観光客で賑わいを見せていました。一方でアグノウ門は、周囲の壁が崩れ、バヒア宮殿などの施設は安全調査及び確認中で閉鎖していました。

マラケシュのランドマークです。
ジャマエル ・フナ広場




マラケシュ博物館
マラケシュ博物館は、被害が少なく安全が確認出来ていて見学できました。 マラケシュでのガイドは、ベルベル人のアブさん(25歳)。彼は独学で日本語を学び、数年前に日本に来たことがあり、日本文化が大好きとの事でした。とても明るく丁寧に案内してくれました 。






▪️メディナ内部の被災建物の状況
震源地から70kmのという距離のマラケシュ中心部は、メディナ内のところどころに、地震による被災した建物がありました。建物は基本はレンガ積工法に土壁下地の漆喰仕上の為、外壁が剥落している現場が多く、また老朽化した建物で2階の一部が倒壊した被害も見られました。そうした現場でも、立ち入り禁止等もなく、皆さんごく普通にそして冷静に、生活されている光景が印象的でした。






